こぎちゃん(ひろちゃん)からおかぴー(梅ちゃん)へ
極悪同盟結成直前だった、こどもたちが小さかったころ
思い返せば、わたしたちも若かった・・・20代~30代前半の頃ですね~
こどもを産むまで知らなかったことが山ほどあって、それがまた信じられないくらいしんどかったなぁと思い出されます。しんどいからどんどん追い込まれてしまう負のスパイラル。
梅ちゃんところが一気飲みして足りなくて泣いているのを見ていたせいか、赤ちゃんはミルクを飲むものだと思っていたのに、たった40ccのミルクすら1時間たっても飲み終わらない我が子
寝ることが大好きだったのに、泣くので抱っこを繰り返し、細切れにしか眠ることができない永遠に続くような気がしていた日々
抱っこばかりしていたから両手が腱鞘炎になってお風呂に入れるのも一苦労
寝ぼけながらちょっとしか飲まないミルクを夜中も作っていたこと
やっと飲んだと思ったらゲップとともに吐かれ、ほぼ毎回親子で着替え&洗濯
ウンチはしょっちゅう背中からもれている・・・
飲まないから体重が増えないので1カ月検診で産婦人科の先生に怒られ逆切れして大泣き
頼みの綱の夫は出張やら残業やらで居ないも同然
手伝ってくれるはずだった頼みの綱の母は妹の出産が重なりあてにならず
さぁ ここまで思い出して、しみじみ思いましたよ。
第一子産んでたった1カ月だけでもこんなに想定外な育児。
あの頃のわたし、精一杯頑張ってたわ(;^ω^)
今だったら、飲んでないわけではないよね~だってウンチもおしっこも出てるし。
少しくらい泣かせてても大丈夫。運動にもなるし、お腹も減るし、ひと泣きしたら飲むかもしれないし眠りも深くなるかも。
こんなふうにお気楽に考えられるけれど、新米かあちゃんだったわたしは追い込まれてましたね~。
新米かあちゃんだったあの頃も、いろんなことを経験し学んで年を重ねた今も、変わらず同じようにこどもたちのことが愛おしくてかわいくてたまらないんですけどね。
あの頃
できないことをできないと言えてなかったら・・・
わけのわからないことをわからないと言えてなかったら・・・
心配なことを心配だと言えていなかったら・・・
不安と不満とイライラを吐き出す場所がなかったら・・・
考えただけでもゾッとします。
梅ちゃんとの不平不満グチグチプリプリ毒吐き大会がなかったら、あの頃のわたしは乗り切れてなかったと言っても過言ではないのです。
イライラやら不安やら不満やらでいっぱいの時は、吐き出す場って大切なんですね~。
眉間にシワよせ(-"-)悪態つきまくりの極悪同盟結成直前だった梅ちゃんとわたし。
あの暗黒の時代に素直なコミュニケーションを取れていてラッキーだったと思うよ~。
おかげさまでミルクをちょっとしか飲まない息子も元気に高校生になれましたよ( ̄▽ ̄)
ありがたや~♡
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